2020年10月31日 朝日新聞週末版be「フロントランナー」掲載〜子の入院、付き添う親に食事を〜
あと1週間で退院だった。次女は生まれつき難病を患い、東京医科歯科大医学部付属病院に入院していた。光原ゆきさん(46)にとっても「ふつうの処置」がとられていた時、次女の心臓が止まってしまった。
まだわずか11カ月。直前までだっこされニコニコしていた。
光原さんは言う。「病院が真摯(しんし)に向き合い、1年かけて調べてくれたが、原因はわからなかった」。周囲には、体が小さな変化にも耐えられなくなっていたのかも、といわれた。
もう少し大きくなれば治療を進められた。それでも学校の送り迎えは必要になっただろう。だからもうバリバリ働かず、次女に寄り添って生きる。思い描いていた未来が一気に消えた。
仕事に戻っても通勤中も涙がとまらない。なんとか生きていられたのは3歳の長女がいたから。光原さんの場合は本で出会った言葉にも支えられた。「子どもはお母さんを選んでくる」
実は次女に難病があるとわかった時、なぜ健康に産んであげられないのか、と自分を責めた。長女も生まれてすぐ入院が必要だった。でもこの言葉でやっと前を向けた。子どもたちは役目を持って、特に次女は何か伝えたくて、私なら受け止められると選んできてくれたんだ。
「誰かの役に立てたら、きっと娘も喜んでくれる。将来、天国で会えたときに褒めてもらえるかも」。それなら私じゃないとできないことをやろう。
2人の看病で入院中に付き添った6病院。長期でも親の食事はなく、簡易ベッドで、シャワーがないことも。自身も十分な食事がとれず、体調を崩したこともあった。子どもは親の影響を受ける。子どもの笑顔のためにも親の環境を改善したい。 仲間たちも動き、NPO法人キープ・ママ・スマイリングが始まった。縁が生まれ、米国の三つ星レストランで副料理長だった米澤文雄シェフ(40)が協力し、国立成育医療研究センター隣の家族宿泊施設で食事作りを始めた。米澤シェフも弟の病院通いに付き添った経験があった。聖路加国際病院には手作りのお弁当を届けた。
缶詰を開発、受け入れてくれる病院も
だが壁も。病院によっては「衛生面から難しい」。地方では同じ態勢を簡単には作れない。そんなとき少ない個数でも缶詰を作れる会社を知った。シェフが監修し、野菜不足を補う缶詰を独自開発。東京医科歯科大や佐賀大の病院が配布を受け入れ、今も2病院で検討中だ。聖路加国際大学の小林京子教授(小児看護学)は「患者の家族を全国にまたがり支えていこうという先駆的な支援活動だ」。
特に東京医科歯科大は全国の病院に影響力があるとされ、配布開始は活動の弾みになることが期待できる。「きっと娘が連れてきてくれた」。初めて缶詰を届けた帰り道、そっとかみしめるようにつぶやいた。
(藤崎麻里)
「缶詰での支援、やらねば後悔すると思った」
――保護者の食事に焦点をあてたのはなぜですか。
みんな子どもが第一だから、自分のことは後回しになります。わたしも産後で体調が戻らないのにずっと泊まり込んで付き添いました。一緒にいないと泣いてしまうから、寝ている間にコンビニで2食分買ってしのぐ。ある病院で、そんな暮らしをしていたら熱を出した。親が熱を出すと病院にはいられない。1週間して戻ったとき、娘が脱水を見落とされ、しわしわで目も死んだ魚のようになっていました。医師に謝罪されましたが、看護師の数が少ないからなので、責められないと思いました。ただ、改めて自分が健康でいないといけないと思いました。
また母乳をあげている時期でもありました。少しでも免疫をつけてあげたいと思って。自分が食べたものが栄養になる。だから子どものために、なるべくちゃんとしたものを食べたい、そんな葛藤もありました。
親は子どもが第一、自身は後回しに
――すべての病院がそういう状況なのですか。
私は、六つの病院の入院に付き添いました。一つだけ、有料で大人用の入院食を出してくれるところもありました。でも入院が長期にわたることが多いのに、ほとんどは毎食がコンビニに。シャワーすら使えず、徒歩10分の銭湯に行かないといけない病院もありました。ただ入院食を出せる病院があるなら、ほかも運用次第でできるのでは、とも思いました。
――保護者が泊まり込んで世話をする環境が整っていないのですね。
日本の制度は、小児科病棟は医療従事者だけで子どもをみることを前提とした仕組みになっているからです。だから付き添い者の食事やシャワーといった生活環境の整備をする必要がない、となるのです。でも実態としては小児科病棟は手が足りていません。「付き添いを希望している」というかたちをとりながら、親が入らざるを得ないことが多い。今は、そんなひずみが生まれていますが、本来は医療チームのメンバーだと思います。病院によっては、子どもを抱きかかえるのではなく、タオルの上に哺乳瓶を置いて勝手に飲ませておくような場面も目にしました。危険で保育施設などでは許されないことです。「手術は保護者が泊まり込む」とルールになっているのに、親は「泊まりたい」と一筆書かないといけない病院もあるそうです。
――あまり声が上がらないのはなぜですか。
まずは自分の子どものことで手いっぱいで、声をあげられません。子どものことは親がみるという風潮もあると思います。以前、ネット上でアンケートをとりました。200人以上から回答があり、1カ月以上付き添いをした7割が体調を崩し、経済的不安を抱えたことがわかりました。その後聖路加国際大学の小林教授と1千人規模の学術的な実態調査に取り組みました。来年には発表し、将来的に政策提言につなげたいと考えています。
やさしい味にこだわった缶詰
――缶詰作りが転換点になりましたね。
にんじんとオレンジの食べるスープや大豆ミートのキーマカレーなど4種類を作りました。疲れている時でも食べられるよう野菜を使い、やさしい味にこだわりました。今はレトルト食品なども手がけています。
――同時期に、仕事をやめてNPO活動に絞られましたね。
缶詰を作ればもっと広く展開していけるかもしれないという目標が見えた時、二足のわらじでやるより、全力で取り組みたいと考えました。人生をかけてやりたいと思うことができ、40代になり、やらないと後悔するとも思いました。缶詰を付き添い者に無料で配布していくために、缶詰を一般販売し、その売り上げを費用にあてることなどを考えています。まずは、インターネットで缶詰の販売を始めました。
化粧品や洋服なども
――コロナ禍での支援状況はいかがですか。
病院によっては、面会がしづらくなったので、企業と協業して、オンライン面会の支援に取り組みます。また保護者が付き添っている期間中に交代できない、外出できなくなったという問題もあります。今、付き添い者の多くはお母さんなので、ネットを通じ、希望するお母さんに、缶詰や、支援いただく企業からの化粧品や洋服などもセットで送っています。
――目標は。
病院で食事が出るようになるなど、私たちの支援が必要なくなるような状況です。そうしたら次はお母さんたちの思いを聞いたり、就労支援もやったりしたいです。孤独感に悩んだり、看病のため仕事を辞めたりするお母さんたちも多かった。でもやっぱり自分の人生も生きて欲しいです。